2009/08/13

島の活動日記④

3日目。



今日は雨です。
雨でも、島は美しい。日ごとに表情を全く変える島です。
ということで、今日は室内作業です。



朝から原田陽一郎+岡本永ペアは、土器を火にあてて、塩を作っています。
原田さんは、折り紙で12面体を折り続けています。



白石島では4から5世紀にかけて、土器によって製塩がおこなわれていました。
島内には、古墳は残っており、古墳からは製塩の痕跡がある、土器が出土されていました。
中には指紋がついたものまで。
昔、塩は土器よりも貴重なものであったために、土器を壊して塩を抽出していたとのこと。
岡本永さんは、陶芸作家。岡本さんが作った素焼きに、白石の海水を注いで製塩をしていきます。
塩は生命の源、その塩をモチーフに二人の制作は進んでいきます。
1度に製塩できる量は、ほんの少し。12面体を折り続けるのも時間のかかる作業ですが、コツコツと繰り返す作業に進化の過程、日々の営みの偉大さに、はっとさせられるのでした。



延谷大和くんは、コンロでろうそくを溶かし、型に労を注いでいきます。
朝から帰る直前まで、もくもくと、横目もふらずに、ただただ作業に集中し続けています。



原田陽一郎+岡本永ペアの会場となる、松浦邸を見に行きました。
この家は、伊能忠敬が測量に来た際に泊まった家です。

(写真46)

真部さん、大和君、陽一郎さん、岡本さんは今日の船で一度、白石島を離れました。



港からの帰り道、天野さんに開龍寺に連れて行っていただきました。
瀬戸内海は古来から唐へと続く海の道でした。渡来のものはこの海の道を通り、日本へ伝えられ、また人の行き来もこの海にはありました。
弘法大師も唐から帰朝する際に、この岩山にとどまり、自分の像を彫り、今でもこの寺にまつられています。
水野家の菩提寺として、白石島の中の城のように大きな敷地、大きな石垣が境内には残っています。



4人でぷちキャンプファイヤーをしました。
よく働き、よく遊ぶことが、パワーの源です。

-3日目の発見
・島の暮らしは600人と、若者のべ400人の1000人がいればいい。
田野さんが、島の再生委員会に行って話を聞いてきたところ、「人が増えればいい」というようなお話をいただいたとのこと。
・島の暮らしは「のべ」1000人いればいい。
・島の人口600人。そのくらいが顔の見えるコミュニティ。
若者が200人から300人、のべ、ちょろちょろ来てくれることが、島の刺激になる。
・島の島民が増えれば、活性化するとは思わない。
・村の人は、島の中で結婚するのではなく、島と島、海を挟んだ方が近いから、
・源平合戦の先祖をともらうために、900年たった今でも、瀬戸内の人が3年に1度合戦の供養をする。

(レポート:山浦彬仁@コミュニティアート・ふなばしより研修中)